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モンテクリスト伯華麗なる復讐あらすじ。原作小説はどんな内容なの?

モンテクリスト伯華麗なる復讐が4月19日の木曜22時から放送されるそうです。

どんな内容のドラマなのかと思い、原作を調べてみたらフランスの小説で、アレクサンドル・デュマ・ペールという人が書いた作品で日本では巌窟王で知られてるそうです。

内容は、罪を着せされ、孤島の監獄に幽閉された主人公が、隣の独房に居た囚人から宝の山のありかを聞き、監獄から脱出後にその宝の山を見つけ出し、それを元手にモンテ・クリスト伯と名乗るそうです。

そして、自分を陥れた友人たちに復讐するのですが、自分のしたことに後悔しエデという名前の女性に助けられながら新たな人生を歩んでいくという内容で、ドラマは現代風にアレンジされるみたいです。

この内容を知って、金田一少年の事件簿を思い出しました。この作品の中で『巌窟王』のエピソードが語られたことがあったので、金田一少年の事件簿ってモンテ・クリスト伯のオマージュ作品だったんだと気づきました。

モンテ・クリスト伯ですが、見つけた宝の山で巨万の富を得ることとなったみたいですが、もし私が同じように巨万の富を得たことで、彼と同じように復讐をするか?と考えたらしないと思います。

どうしてかっていうと、お金の力を使って復讐をしたところで長年の憂さを晴らせるだけで、自分を陥れた人間と同じレベルに自分自身の手で落とすことになるし、復讐をした後も心の中にその人たちが悪い形で残り続けて心が晴れないからです。

私は昨夜、デスノートの映画を観たのですけど、犯罪者を次々と葬り去る主人公を見て、いつか闇に飲み込まれるんだろうなと思いながら見ていたら、案の定、自分に敵対する勢力という理由だけで殺害をしてしまいました。

その姿を見て何て愚かな・・・と思いました。愚かな・・・という言葉で思い出したのですが、松坂桃李さんが出演した映画不能犯でも『愚かだねぇ・・・人間は』と言ってました。この映画は殺し屋に依頼をして殺害する作品です。

財力を使って復讐を企てたり、ノートに名前を書き綴って人を殺害しようとしたり、殺し屋に依頼をして殺害をしようとしたり、人が持つ心の闇を増幅させたところで人の役には立たないのに何て無駄なことを・・・と思います。

しかしこうも思うのです。心の闇をうまく昇華させれば別の世界へ導かれるのでは・・・と。

どうしてこう思うのかというと、デスノートに関しては、もしかすると作者自身が過去にいじめられていたのかな?と思うからです。過去、いじめられていた時に『殺してやりたい』という心境になっていたのかもしれません。

そして、当時の苦々しい経験を漫画にぶつけて完成させた作品こそが『デスノート』だったのかなって映画を観て感じたのです。やり返すのではなく人を楽しませるコンテンツとしてこの世に生み出した。

結果として、いじめられた経験は自身を助けることとなり、未来に人々を楽しませるために必然的に起きた出来事となったのではないか・・・と私は考えたのです。

このことから、モンテクリスト伯の作者は、無罪なのに投獄された経験があったのかな?とも感じるわけで、現実の世界では復讐をせずに、文字の世界で恨みを晴らすことで、心の闇を昇華させたのかもしれません。

モンテクリスト伯もまた名作であることから、心の闇を描くことで人を楽しませる小説として、この世に生み出されたのかもしれませんよね。

こんな風に考えると、逆境にあることを不運であると嘆くのではなく、むしろ、ものすごく貴重な体験を今しているんだ!と思う事が大切だと感じます。

ただ単純に小説を読んで面白かったとか、ドラマや映画を観て面白かったと思うのではなく、自分自身の今の境遇をいかにしてネタにするか?を考えることで不遇と思われる状況から脱出できるのかもしれません。

そういえば、ピン芸人のヒロシも自分の不運な出来事をネタにしてものすごく人を楽しませていましたよね。

心の闇を単に闇として片付けるか、闇を光にどうやって転換させるか?この視点の違いこそが人生を面白いかつまらないかを決める要素だと思います。

こんなことを考えながら、ディーンフジオカさんが出演するモンテクリスト伯を見ると楽しい時間を過ごせるのではないでしょうか。今から楽しみです!

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