高校野球で試合終了後の握手って必要?むしろ不要だと思うんだけど!

高校野球で試合終了したら整列をして互いに礼をしますよね。更にそのあと握手をしてるシーンがありますけど、あれって必要なのでしょうか?

先日、日大三高の選手たちは、試合終了の挨拶が終わった後に握手をしませんでした。この場面を見て、そういえば昔って握手なんてしてなかったと思い出し、今では当たり前のように握手をする光景に疑問を感じたのです。

更に疑問に感じたことは、日大三高の選手に対してマナー違反だと騒いでる人たちに対してです。

小学校・中学校・高校時代を振り返った時、私の記憶には授業が終わった後に握手をした覚えが全くありません。授業が終わると『起立!礼!ありがとうございました』と挨拶をしただけの記憶しかないのです。

もし、教育のために握手が必要だと思うのならば、学校の授業が終わった後の挨拶にも握手を組み込むべきではないでしょうか?でも実際そんなことをしてる学校なんて見たことも聞いた事もありません。

だからといって、学校で毎日のようにマナー違反が横行しているのか?というとそうではないですよね。挨拶をすることで礼を重んじ感謝を大切にできる教育がそこにはあります。

それではなぜ握手をしなかった日大三高の選手に対して人々はマナー違反だと騒ぎ立てるのでしょうか?簡単なことです。感動を売り物にしたがる存在がいるからです。

高校野球は教育の一環という立ち位置にあるものの、お金を稼ぐコンテンツの一つであり、その一端を担っています。お金が絡む以上、テレビは視聴者に対して感動を与える必要があるわけです。感動を届けたいというエゴと表現するのが適切かも。

そうした大人の勝手な都合を子供たちに押し付けて試合終了後に握手をさせているのです。

もし握手が本当に教育の一環に必要だと確信するのならば、学校の授業が終わった後の挨拶にこそ握手をさせるべきなのですが、そうしたところには無頓着ですよね(笑)。言い換えると、お金が絡まないところにこそ本質があるわけです。

こう考えると、握手なんてむしろ不要で、子供に大人の都合を押し付けるな!と思うのです。それに、日本人の大人は握手なんて日頃からしてませんからね。大人がしてないのにどうして子供にその習慣を根付かせようとするのかが不思議でなりません。

ただし、お互いが自然と歩み寄り、健闘を称えあい、握手をするのならばそれは感動になりますが、それを大人が強制することは教育とは全く違うし、子供を出しに使って感動を売り物にするなと言いたくなるのです。

大人が子供に握手を強制しているから、日大三高と三重高の試合終了後の気まずい空気が生まれたわけで、子供の気持ちを大切にしていたら8-0の試合で、三重高の選手たちが握手をしに行こうなんて思わないですよ。

普通に考えたら一方的な試合展開で健闘を称えあうって考えにくいですよ。敗北したチームからしてみれば大差負けは屈辱以外の何物でもありません。

そうした思いを汲み取ってあげることが『相手を思いやる』ことであり、大人が子供に教えるべき心の教育なんです。だから本当は、三重高の選手が歩み寄るべきではなかったのですが、大人の都合を子供に押し付けた結果、そうなってしまったのです。

そもそも、お互いが健闘を称えあう時というのは、すべてを出し切り悔いのない戦いをした!と両者が思った時ですよ。そうした時に自然と両者は歩み寄るのです。

誰かに強制されるのではなく自然と歩み寄るからこそ、そこには感動が生まれ、人の心を動かす確かな力が宿るのです。

それなのに、このことが理解できない大人たちは、何でもかんでも握手をさせようとし、感動を無理矢理生み出そうとする。この行為は大人のエゴであり、子供の心の成長を妨げるだけなので、やめさせた方が良いと私は思うのです。

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