浜崎あゆみLGBTイベントのシースルー衣装は男に媚びて下品と思う
LGBTで悩みを持っている人たちのイベントにシースルーの衣装で歌うのはズレてるんじゃないかなって思った。性について悩んでいる人たちの象徴がステージに立つ人だと考えると、いかがわしい人の集まりなのかな?って思ってしまう。
このイベントがLGBTの人たちだけのイベントなら別にシースルーでも問題ないんだけど、LGBTを世間の人たちにも理解してもらいたいと本気で思ってるのなら、あゆのその衣装は普通の人からどう見えるのか?を意識すべきじゃないかな。
私はパッと見て、男に媚びた下品な衣装だと思った。LGBTで悩んでいる人同士のイベントなら、シースルーの衣装が『自分をさらけ出そう!』というメッセージになってLGBTで悩んでいるみんなから支持されるでしょうね。
でもですね、それはLGBTで悩んでいる人だけに伝わる衣装であって、一般人から見たらどんなイベントなんだろう?と理解に苦しむと思うのです。
あゆは自分でこういう活動をすることがカッコいいと思ってるのだろうけど、肌を見せれば見せるほど一般人からは下品と罵られると思う。大切なことはあゆがカッコいいと思う事じゃなく、LGBTで悩む人が社会から受け入れられる事ですよね。
そう考えた時、大切なのはあゆ自身が長年悩んできたことを話しかけることだよ。そうすることで共感の輪が広がっていくんだよ。あゆが話せば、それを聞いたLGBTで悩んでいる人も周りに話す勇気を持てる。
実は私レズビアンなの・・・とか、実は俺ゲイなんだよ・・・。と、自分にとって大切な人に伝えることができると思うんですよね。理解が広がる時って悩みを持っている人が話し出すことから始まるんだよ。
あゆがLGBTのイベントで派手な衣装でアピールしても世間的には『私の周りにはそういう人は居ない』で、終わっちゃうんです。本気でLGBTを世間に認識させたいのなら、あゆが自分自身が今まで背負ってきた苦痛を解放しなきゃ伝わらない。
LGBTを押し付けられても世間的にはなんのこっちゃ?で、終わってしまいます。簡単な話、宗教の勧誘と同等レベルで片付けられてしまいます。でも、自分から悩みを語り掛ければそれに耳を傾けてくれる人は出てきます。
理解ってそうした態度から生まれるものですよね?
LGBTで悩んでいる人があゆを真似してシースルーの衣装を身にまとって街を歩いたら『あいつヤバくね?』って思われるのが関の山です。変な男が寄ってくるだけになります。
そうじゃなく、自分の大切な人に自分の悩みを打ち明けるのですよ。理解は他人の行動によって得られるのではなく、自分自身の行動によって理解を勝ち取ることができるわけですよね。
あゆがLGBTのイベントで派手な衣装をまとって歌った。じゃあ明日からみんなが理解してくれるのか?って言うとそうじゃないですよね。
大切なのは自分のことを大切な人に語り掛ける事。あゆはあくまできっかけに過ぎないし、そのきっかけが男に媚びるような衣装ではLGBTを正しく理解しようとしてくれないと思います。
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